学生の頃の私は、夢がありませんでした。
目標がまったくなかったわけではないけれど、
「これになりたい」
「これをしたい」と
胸を張って言えるものはありませんでした。
通っていた高校は進学校だったので、受験をしない、大学に行かない、そういう選択肢は、最初からない空気でした。
周りの友達たちが
「〇〇になりたい」
「東京に行きたい」
「〇〇大学に行きたい」
と目をきらきらさせて話しているのが
眩しすぎて、やる気のない自分に劣等感を抱いていました。
行きたい大学も、将来なりたいものも、何も決まっていなかったけれど、
大きな流れから一人だけ外れるのが、怖かったのだと思います。
だから、受験をしました。
大学生になってからも、
「これをやりたい」
という仕事はなく、かといって、働かないという選択も現実的ではなくて、
「働かないのはまずいだろうな」
という理由で、就職をしました。
今思えば、とても消極的な選び方だったと思います。
でも当時は、それが精一杯でした。
そんな私ですが、
「これだ」というものはなくても、小さなトライはいくつかしてきました。
たとえば、パソコン系の資格。
触れた方が便利そうだな、という理由で、ワープロ(古い)、CAD、システム系の勉強、情報系の資格も取りました。
英会話にも通っていました。
夢があったわけでも、それを仕事にしようと思っていたわけでもありません。
ただ、目の前にあった少しの興味を、一つずつやっていただけでした。
今になって振り返ると、
「ああ、あれは私の興味のある分野だったんだな」
と思います。
でも当時は、
それが「好き」だとは全く思っていませんでした。
それでも、どこかでずっと思っていたのは、
「何か一生懸命になれるものを見つけたい」
という気持ちだったように思います。
夢とか、目標とか、そういう言葉にするのは少し大げさだけれど、このまま何もないままなのは、
少し寂しいな、という感覚です。
最近は、
「夢がない人ほど、目の前のことを丁寧にやるといい」とか、
「少し好き、を追いかけていくと、後から線になる」
といった考え方を、本や文章でよく目にします。
たぶん、それは本当なのだと思います。
少なくとも私は、夢が先にあったわけではなく、手当たり次第にやってきたことの中から、
あとから意味を見つけました。
英語も、
最初から「これで生きていく」と思っていたわけでは全くありません。
ただ、
少し気になって、
少し続けて、
少しずつ深くなっていった。
気づいたら、それが今の自分につながっていました。
もし今、
「やりたいことが分からない」
「夢なんて特にない」
そう感じている方がいたら、
無理に見つけなくてもいいのかもしれません。
目の前にあることを、少しだけ丁寧にやってみる。
少しだけ、気になる方へ寄ってみる。
それだけでも、あとから振り返ったときに、
「ちゃんと歩いていたな」と思える道になることがある。
私は、そう感じています。
遠回りに見えても、無駄に見えても、その時の自分なりに、ちゃんと選んでいたのかもしれない。
英語も、人生も、急に答えが出なくても、続けていくうちに、少しずつ形になることがある。
わたしは、今は英語を教えることにワクワクしているので、他に何かやりたいということが思いつきませんが、気になったら臆せずにやってみようと思っています。

