「どうせ将来英語なんか使わないのに、勉強する意味ある?」
試験や受験勉強で疲れてくると、こういう言葉がポロっと出てくること、あります。
自分も思っていたし、生徒が思うのも分かります。
「体育の先生になりたい!」
「パティシエになりたい!」
仕事で英語を使いそうにない子にとって、英語は不要なんでしょうか?
昔の私は、「まあ、使わない人もいるかもね。でもテストはあるからね~」
なんて、軽く返していました。
でも、最近
歴史や物理を学ぶ意味にもつながる話じゃないかと思っていて。
人は、学んだことや経験したことによって形づくられていきます。
たとえ何かを極めたり、世界一にならなかったとしても、その知識や経験が「次に考えること」や「新しい出会い」の土台になっていきます。
つまり、
学びは、その人の”色”になる。
そんな気がしています。
高校時代の私は、英語を教えることが仕事になるなんて、全く思っていませんでした。
でも、ある英語の授業で出会った長文が、ずっと心に残ることになります。
それは、イギリスの「ウェッジウッド」のお話。
イギリスでは、娘が結婚する時にウェッジウッドの食器を贈るのが伝統なのだそうです(当時)。
理由は、壊れたり数が足りなくなっても、また買い足せるから。
そしてそれは、王室にも愛される、何世代も続くブランドだから。
これを読んだとき、私は思いました。
「面白い!モノなのに、そこに思いが詰まってる。素敵だな」って。
日本で言えば、着物みたいな感覚かもしれません。
モノを超えて、想いを繋いでいく文化。
その感動は、今でも忘れられません。
ただのテキストにあった長文の中の1トピック
それが私の英語好きにつながっているのだとしたら
苦痛だった英語の授業も無駄ではなかったと思うのです。
*そんなウエッジウッドが2009年に経営破綻したときはショックでした。
現在はアメリカの会社が引き継いでいるようですね。
ちょっと余談。
中学時代、数学の確率の授業で「赤と白の玉がどのくらいの確率で出るか」を計算して、実際にやってみる実験がありました。
私は心の中で思っていました。
「計算どおりになんか、絶対ならないでしょ!」
でも…結果は、ほぼピッタリ!
ものすごく驚いたし、それ以来、統計とか確率みたいな数字で物事を考えるのが好きになりました。
(ちなみに、宝くじは買いません(笑))
全部じゃなくてもいい。
学んだことは、必ず自分の中に積み重なって、その人だけのカラーになっていく。
学べば学ぶほど自分や子供がカラフルになると思うとワクワクしませんか?